GDMBR Salida, CO to Grants ②

追憶の日


気持ちの良い快晴だった位かな・・・

この日の画像は上記が全てで開けたところに出るわけでもなく、一日中山の中を走っていた。

唯一覚えてるのが夕方ごろに、山道の前方に自転車旅行者が立ち止まっていて追いついてみると、アジア人旅行者だった事位かな…彼は韓国出身でロサンゼルス在住だったので英語も上手だった、写真撮り忘れたのが悔やまれるが格好良いmtb乗っていた29erでバックはレベレイトデザインで統一されていた、賢いなと思ったのが水洗浄機のソーヤをハイドレーションホースの飲み口の手前でジョイントさせていた、こうすれば移し替えなくても直接ハイドレーションパックに川の水を汲めばいいので時短になるな。

しかし、アジア人自転車旅行者に出会うのはレアだ、割合では世界の6割はアジア人のはずだが出会うのは7:3でヨーロッパ/北米が多かった、だからどうってことではないが、もう少し増えてほしい気持ちがある。

 

彼とはちょこっとだけ話して先に進み道の脇でテントを張った。

写真は翌日

 

西部開拓時代

翌日、CUBAの町に到着後に安定のマクドナルドとスーパーをハシゴして体制を立て直してから出発、そう言えば駐車場でお姉さんに「どこから来たの」って聞かれて今日の事かと思って、「向こうの山から」って答えると ん?みたいな空気が流れたが国とか州とかの事柄についてっだたんだな、countryとかの単語が入ってたら理解したかもしれないけど、英語以前に会話って難しいな。

だいぶ南に近かずいて来たからなのか、犬に追いかけられるようになった、北のほうでも自転車乗ってると犬が吠えながら追ってくるが柵やフェンス越しだった、ここいらでは放し飼いが多くて敷地外まで必死で追いかけてくる犬が増えた、これからさらに南下して行くと犬共とのバトルは熾烈を極めるので、望むところである。

理由はうろ覚えだがこの道はルートから少し外れている、もう早くゴールしてグランドキャニオン方面に向かいたいので確かショートカットした覚え、Googleマップ上で「ナバホ・ロード」と表示されていたのも興味がわいた、どうせ未舗装だし一緒でしょ。

淡々と走行していると車が並走してきてアメリカ先住民ぽいおばちゃんが、「道に迷ったのか?」と聞いてきた私は立止まって地図見てたわけではなく、普通に走行しているだけで聞いてくるってことは、相当よそ者は珍しいエリアなのかな。

「ナバホ・ロード」とあるが観光ロードでも何でもなく看板も標識もない、ただの田舎道だがもしかすると先住民の人たちの中では今でも神聖な場所が在るかも知れないのでテント設営は慎重に選んだ方がよさそうだな、と思ったが開けた所で死角がないので選択肢は少ない為、変な形に風化した岩陰に決めた。

 

しかし、この辺の景観は150年前とそう変化してないのではないかと思う、そうなると数々の開拓民や無法者やインディアン カウボーイ達が馬やロバを連れて旅をし、この岩陰で一夜を明かしたのではないかと思うと中々胸熱である。


絶対に押すな!